文様の歴史8 明治・大正・昭和時代(1)

江戸から明治へ
鎌倉時代から続いた武家政治は、江戸幕府を最後に幕を閉じました。
その要因は、民衆の近代意識の発達や、諸外国からの開国要請など、あらゆるものの積み重ねといえるでしょう。
1867年(慶応3年)15代将軍徳川慶喜が政権を朝廷に返したことで実質的に終わりを告げたことになります。

265年も続いた江戸幕府に代わり、明治の新政府がスタートします。
明治維新、その後迎える文明開化は、日本国内に大変革を与える嵐のようなものでした。

イギリス・アメリカ・フランスなどの先進的な文化・産業・政治・経済・教育……。
あらゆるものが日本に導入されました。
それらを日本人は大急ぎで吸収し、まさに文明の大革命を起こした時代です。
明治は近代日本の始まりを告げる鐘を打ち鳴らした時といえるでしょう。

数々の社会の変動の中で、染色業界もまた、大きな変化がもたらされました。
それはキモノの文様表現のみならず、根本的な部分から覆〈クツガエ〉すほどのものでした。

先端技術の導入
明治の新政府を迎え、織物業界には、イギリスから紡績機械、フランスからはジャカード織の最新鋭技術と機械が持ち込まれ、染物業界には、化学染料が大量に輸入されました。化学染料は、イギリスの化学者ウィリアム・パーキンにより1856年に創製されており、江戸末期にはすでに幾種類かは、日本に輸入されていたようです。
これまでほとんど手作業で行っていた織物業界や自然の植物から染料を抽出していた染物業者に大きな衝撃を与え、高価な一品製作といわれていた、手描友禅染においても、安価に量産できる型染めの友禅が、その後開発されることになります。
綸子地松竹梅亀模様打掛

Clse-up
江戸時代後期 染の西沢所蔵
      
婚礼用の晴れ着。めでたい吉祥文様です。
中国における「歳寒三友」寒さに耐え、
人生のめでたいと賞する三つのものを言う。
「竹」は虚なことにより益を受ける。
「梅」は寒中花を咲かせ、早春を告げる。 
「松」は清らかで高雅な美しさを賛したもの。
「亀」は長寿の印とされる。 
化学染料の普及
化学染料の魅力は、色数が多いことと、発色が鮮明なことが第一です。さらに、友禅染に使用する糊に混ざることから、色糊による地色染(しごき染)、文様染(写し染)を可能にし、ぼかし染も自由にできるようになりました。
江戸末期、横浜港に逸早く輸入されていたといわれる化学染料は、 紫粉(メチールバイオレット)・紅粉(マゼンダ)・紺粉(ソルブルブルー)ですが、一般的には知られていず、明治に入って広く世間に知られるものとなりました。化学染料の普及により、江戸の紫染屋や京都の紅染屋も紺屋の藍染も急速に衰退しました。
   
※海外から持ち込まれた、新しい技術、 新しい設備を日本人が使いこなせるようになるまでには、 いろいろな問題が発生したことでしょう。
そして何より、文明開化の時代の波に、 遅れをとらないために、日本の産業界すべてにおいて、 想像以上の努力がなされたことと思われます。
 
貝桶に四季の花模様振袖

Close-up
明治時代 宮嶋染匠所蔵