文様の解説5 能装束に見る日本の文様(1)
 
能装束に見る日本の文様
能装束は、実用の衣服と違い、舞台という仮の世界で理想化され、象徴化された人物や神を表わす衣裳です。そのため、数々の文様が持つ特徴を十分に生かし活用することで、舞台効果をさらに高める動きをします。
いわば能装束の文様こそ、日本の伝統的文様をより洗練し、集大成したものであるといえるのではないでしょうか。能装束の伝統的文様の流れを時代と平行させて見ると、ほぼ3つの系列に分けることができます。
有職〈ユウソク〉文様
現在私たちが知ることのできる、最も古い染織文様は、法隆寺や正倉院宝庫に秘蔵されてきた、「上代染織文様」とされています。
これは飛鳥時代や奈良時代に中国(隋・唐)から伝えられたもので、当時これを使用できるのは、貴族階級の貴族階級の者に限られていました。一般庶民には見ることすらできない高貴なものとされ、長い間貴族の中でだけ受け継がれていきました。
この「上代染織文様 」は、中国風のスタイルをそのまま伝えたものでしたが、平安時代以後、貴族の衣生活に合うように工夫され、和様化します。その和様化された文様を「有職文様」と呼んでいます。日本最古の貴族専用の文様も、和様化された後、鎌倉時代の頃には武家にも使われ、次いで一般にも使用されるようになりました。
名物裂系の文様
「名物裂」は、能が一応完成された、室町から桃山、江戸にかけて、中国(宋〜明)から輸入された織りを主とした染織品です。金襴〈キンラン〉や緞子〈ドンス〉、間道〈カンドウ〉などがあり、当時の茶人たちに珍重され、茶道の名器、名物の茶入れや茶碗などの支覆に用いられたことで、この名がつきました。
同じ中国からの輸入品である「上代裂」とは異なり、始めから、広く一般的に使用されていたことで、近世日本の染織文様形式の1つの母体となりました。
初期の能装束は、渡来の裂類をそのまま用いたものも多かったようですが、その後、織りの技術も習得され、日本でも金襴や緞子が織り出されるようになります。
日本の文様において、また織物技術の上からも、「名物裂」の渡来は、大きな影響力をもつものでした。


絵文様
「絵文様」というのは染を中心とした、絵画的な構成を持つ文様のことで、特に近世以後発達したものをさします。
自然を愛でる日本人の志向は、平安時代の頃から見られますが、当時の染織品は織りが主流で、重ねて着ることから、文様はあまり追求されなかったと考えられます。美しい風景や花鳥などを絵画 的に扱った例は、辻が花が出現した頃注目されるようになりました。
能装束においても、自由な構成を持つ「絵文様」は、特に女役がつける縫箔に好んで用いられたようです。なかには一般の小袖と区別のつかないような文様のものも見られます。
唐織
段替り籠目に秋草文様
唐織〈カラオリ〉
女役が摺箔・縫箔などを着付けた上に、表着として用いるもので、多色で文様を織り出し、金銀糸を豊富に用いた豪華な衣裳です。また、文様に紅色が用いられているものは若い役柄に、紅色の無いものは老け役に用いられています。
摺箔〈スリハク〉
女役が唐織の下などに、着付けて用います。文様は、金・銀の摺箔が多く、江戸時代にはしばしば、刺繍文様が加えられました
摺箔
紅白黄萌葱段入子菱桐唐草露芝に蝶文様
法被
牡丹唐草文様
法被〈ハッピ〉
能装束独特のもので、主に神や武将などの武張った役柄に用いられています。狩衣と同様単と袷のものがあり、武将では袖を短くたくし上げて鎧を象徴するものといわれています。また、天狗や獅子などの人間以外の役にも用いられています。
縫箔〈ヌイハク〉
女役が肩を通さず肌脱ぎの形で腰にまとって用いることから腰巻きと呼ばれます。文様は、刺繍と摺箔で表わされており、一般の小袖にもっとも近い感じのものです。
縫箔
流水に花筏文様
狩衣
根引松文様
狩衣〈カリギヌ〉
元来は、公家の略服だったものですが、能装束においては、神や貴族の男性を表わす格の高い装束として用いられています。これには、単〈ヒトエ〉狩衣と袷(アワセ)狩衣があり、単は優雅な役柄、袷は威厳のある役柄に用いられます。
厚板〈アツイタ〉
男役が着付けに用いるもので、唐織のように多色で文様を織り出していますが、その色と文様は男らしさを強調するようなものが用いられています。また、縞や格子のものもあります。
厚板
松文様